王貞治さんのシーズン55本の日本選手本塁打記録を58年ぶりに更新するという歴史的快挙を成し遂げたヤクルトの村上宗隆選手。
2022年10月3日、本拠地の神宮球場でDeNAとレギュラーシーズン最終戦。
7回の第4打席、56号ソロホームランを放ったとき日本中が歓喜に包まれました。
村上宗隆選手は、2022年現在22歳。
いつから野球を始め、どんな経歴の持ち主なのか気になるところです。
この記事では、ヤクルトスワローズ 村上宗隆選手のこれまでの経歴や出身校などご紹介いたします。
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村上 宗隆選手 詳細情報
名 前 | 村上 宗隆(むらかみ むねたか) |
所属球団 | 東京ヤクルトスワローズ |
背番号 | 55 |
生年月日 | 2000年2月2日 |
身長/体重 | 188cm/97kg |
出身地 | 熊本県熊本市東区 |
ポジション | 内野手 |
プロ通算 | 5年 |
https://twitter.com/SponichiYakyu/status/1639902604158451713より引用
ヤクルトスワローズ 村上宗隆選手 経歴と出身校は?
村上宗隆選手の野球をはじめた幼少期からプロ入りするまでの経歴と出身校をまとめました。
村上宗隆 野球をはじめたきっかけ
村上宗隆選手の父・公弥さんも熊本の強豪校で野球をやっていて、その影響からか村上宗隆選手3歳の時にプラスチックバッドを自宅で振っていたとか。4歳からキャッチボールはやっていたようです。
村上宗隆選手は、3兄弟の2番目。
2歳上の兄・友幸(ともゆき)さんの影響で、幼稚園の年中児から野球を始めました。
年中さんですので、5歳の時から習い始めたことになります。
4歳児のころからキャッチボールはやっていたようです。
もうこの頃から「プロ野球選手になりたい」と村上選手は言っていたそうです。
出身小学校と所属クラブ
- 熊本市立託麻南小学校(たくまみなみしょうがっこう)
- 託麻南小野球クラブ
- 熊本東リトルシニア
村上宗隆選手の出身小学校は、熊本市東区にある「熊本市立託麻南小学校(たくまひがししょうがっこう」です。
小学4年生で本格的に野球を始め、「託麻南小野球クラブ」に所属していました。
この頃は軟式野球をやっていたようです。
小学6年生のころ、硬式野球チーム「熊本東リトルシニア」に入団しました。
村上宗隆選手は、託麻南小学校の卒業アルバムで、プロ野球選手への夢を綴っていたという情報もあります。
出身中学校と所属チーム
- 熊本市立長嶺中学校(ながみねちゅうがっこう)
- 熊本東リトルシニア
村上宗隆選手は託麻東小学校卒業後、同じ熊本市東区にある「熊本市立長嶺中学校」(ながみねちゅうがっこう)に進学しています。
長嶺中学校には部活動で野球部はありましたが、そのまま「熊本東リトルシニア」に所属。
「熊本東リトルシニア」は、元プロ野球選手の吉本亮の父・吉本幸夫さんが指導している硬式野球チーム。
このクラブチームの指導法は、「勝利主義だけに偏らない、個性を伸ばす」でした。
村上選手は、熊本県益城町のグラウンドで練習をしていました
このグランドは、右翼は80メートル以上のネットを10メートル張っているが、村上選手の打球は度々ネットを越えて、近くの小屋の屋根に直撃。何度も穴を開けたことも。
修理に追われていた保護者を見かねて、「左中間を狙え」と吉本監督が告げました。
練習を繰り返し、熊本市の球場で99メートルある左翼スタンドにワンバウンドで届くように。
プロ入りして左の大砲と呼ばれるようになったのは、中学時代のこの出来事がきっかけになったのではないかと吉本監督も語っていました。
また中学2年時には増田珠(現・福岡ソフトバンクホークス)、西浦颯大(~2021まで:オリックスバッファローズ)らと共に九州選抜チームに入り、台湾遠征も経験しています。
出身高校は?
- 九州学院高等学校(きゅうしゅうがくいんこうとうがっこう)
村上宗隆選手は長嶺中学校卒業後、熊本市中央区にある「私立・九州学院高等学校」へ進学しました。
県内有数の野球の強豪校として知られる、九州学院高等学校ですが、村上宗隆選手中学3年生の時に父・公弥さんと見学に訪れ、その時に「九学でプレイしたい」と本人が父に告げたとか。
九州学院側より積極的に勧誘されたわけではなく、村上宗隆選手自身が決めた進学先でした。
村上宗隆選手 高校通算や成績
2015年、村上宗隆選手高校1年生の時に熊本大会決勝で文徳を破り、甲子園出場しました。
高校1年生の甲子園の後、ポジションを一塁からキャチャーに転向。
2016年、高校2年生の時は、熊本県大会決勝で秀岳館相手に敗退。
2017年、高校3年生の時は、熊本県大会決勝でまたも秀岳館相手に涙をのみました。
甲子園出場は1年生の時のみになります。
2015年 甲子園で、村上宗隆選手は4番・一塁で出場。
石川県代表の遊学館と対戦し、サードゴロ、サードゴロ、センターフライ、セカンドゴロと4打席凡退、3-5で逆転負けで初戦敗退という結果でした。
村上選手の高校通算本塁打は52本。
早実・清宮(日本ハム)、履正社・安田(ロッテ)、広陵・中村奨(広島)らが日本代表に選出されたU18には、村上宗隆選手は選出されませんでした。
このときU18に選出されたら大学進学、選出されなかったらプロ入りと九学監督と決意しました。
村上宗隆選手は、高校時代主将を務めていました。
九州学院では主将はトイレ掃除をするという伝統があり、毎日練習後トイレを磨いたとか。
また村上宗隆選手の高校時代の朝ごはんは、九学グラウンド近くの唐揚げ屋さんだったとうい情報も。
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村上宗隆選手 運命のドラフト会議
2017年10月26日、東京都内で行われたドラフト会議。
この時、高校通算111本塁打の新記録を樹立した早稲田実・清宮幸太郎(現・日ハム)が超目玉でした。
また、高校通算111本塁打の履正社・安田尚憲(現・千葉ロッテ)、そして高校通算52本塁打の九州学院・村上宗隆(現・ヤクルトスワローズ)と並んでいました。
清宮幸太郎は、7球団(ロッテ・ヤクルト・日ハム・巨人・楽天・ソフトバンク・阪神)の指名を受けていた。
結果、日ハムが清宮幸太郎を引き当てた。
外れ獲得1位の村上宗隆でしたが、3球団(巨人・楽天・ヤクルト)の競合の結果、ヤクルトが引き当て、現在に至ります。
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