青木宣親若い頃はどうだった?天才プレイヤーと言われる所以(ゆえん)とは?調査・まとめ!

ヤクルト・青木宣親選手 スポーツ
週刊ベースボールONLINEより

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2022年リーグ優勝を果たした、東京ヤクルトスワローズ。
その立役者となったのは、ベテラン青木宣親選手でした。

どんな球も打ち、スピードを生かした守備範囲の広さは、あらゆる著名人からも太鼓判を押されるほど、松坂世代の一人ですが今もなお第一線で活躍されています。 

そんな青木選手の若い頃はどんな選手だったのでしょうか?
青木選手の若い頃の活躍ぶりについて深掘りしていきたいと思います。

最後までぜひご覧くださいね!

 

【この記事でわかること】

✓ 青木宣親選手プロフィール・経歴
✓ 青木宣親選手天才プレーヤーと言われる所以(ゆえん)

 

ヤクルト・青木宣親選手プロフィール・経歴

 

ヤクルト・青木宣親選手
日本プロ野球名球会 オフィシャルサイトより

 

青木宣親(あおき のぶちか)

✓ 1982年1月5日 生まれ
✓ 東京ヤクルトスワローズ
✓ 宮崎県日向市 出身
✓ 愛称:ノリ
✓ 2003年ドラフト4巡目でヤクルトスワローズに指名・入団
✓ 宮崎県立日向高等学校 → 早稲田大学

✓ 東京ヤクルトスワローズ(2004 – 2011)
✓ ブルワーズ(2012 – 2013) 
✓ ロイヤルズ(2014)
✓ ジャイアンツ(2015)
✓ マリナーズ(2016)
✓ アストロズ(2017)
✓ ブルージェイズ(2017)
✓ メッツ(2017)
✓東京ヤクルトスワローズ(2018~)

 

NPB史上唯一の2度のシーズン(2005年、2010年)200安打達成
NPB歴代4位のシーズン安打記録を保持
日米通算2500安打達成(2021年シーズン時点)

 

 

青木宣親選手高校までピッチャーでエースだった!

 

青木宣親選手は野手として活躍していますが、実は学生時代ピッチャーで活躍していました。
小学生から野球を始め、この頃からポジションはピッチャー。

エースとして中・高校もピッチャーで活躍していましたが、高校時代に肩を壊してしまい大学より野手に転向しています。

プロ入り後もポジションは「野手」でしたが、2017年 アストロズに所属していた際、ピッチャーとして登板も。
2017年6月ミニッツ・メイド・パークでのヤンキース戦、最終回にピッチャーとしてマウンドへ。
青木宣親選手の登板理由として試合後、A.J.ヒンチ監督は中継ぎ投手陣の消耗を防ぐためだと語っていました。

過去に同じ野手である「イチロー」も2015年にマウンドに立っています。
メジャーではこういったことは結構あるようです。

青木宣親選手がマウンドへ登板したのは、肩を壊した高校時代よりまさに14年ぶりのこと。
久しぶりにマウンドに立った青木選手。
マウンドから見た景色はどんなものだったのでしょうか。

青木宣親選手ドラフト会議で4巡目指名でヤクルトスワローズへ入団

 

青木宣親選手は、2003年ドラフト4巡目でヤクルトスワローズに指名されています。
この年のドラフト目玉選手といえば、大学時代3冠王にも輝いた、同じ早稲田大学の「鳥谷敬」選手でした。
鳥谷敬選手はこのとき阪神タイガースに指名を受けています。

2003年のドラフト会議では、他にも比嘉寿光内野手が広島に3位指名、由田慎太郎外野手がオリックス8位指名を受けるなど、早稲田大学からのドラフト入りが目立った年でした。

青木宣親選手は4巡目ということで下位での指名でしたが、200安打達成やメジャー入りなどのプロ入り後の活躍が目まぐるしく注目の選手に成長しています。

 

青木宣親選手MLBへ挑戦!ブルワーズへ入団

 

青木宣親選手は2011年11月、ポスティングシステムによりMLBへの挑戦を表明、このときミルウォーキー・ブルワーズが交渉権獲得しています。
2010年より背負ってきた背番号「1」に空き番号がなかったため、移籍先のミルウォーキー・ブルワーズでは背番号「7」を背負うことに。

その後も以下のMLB6球団へ移籍しています。

カンザスシティ・ロイヤルズ (2013年12月~2014年12月)
サンフランシスコ・ジャイアンツ (2015年1月~11月)
シアトル・マリナーズ (2015年12月~2016年10月)
ヒューストン・アストロズ (2016年11月~2017年6月)
トロント・ブルージェイズ (2017年7月~8月)
ニューヨーク・メッツ (2017年9月~10月)

青木宣親選手天才プレーヤーと言われる所以(ゆえん)とは

ヤクルト・青木宣親
週間ベースボールONLINEより

 

 青木宣親選手が天才プレーヤーと言われる所以(ゆえん)は下記の2つ。

✓ セ・リーグ首位打者3回記録している

✓ WBC日本代表に3回選出されている

この2つについて以下に詳細をまとめてみました!

青木宣親選手セ・リーグ首位打者3回記録している!

 

2022年 ヤクルトスワローズの後輩でもある、村上宗隆が打撃部門の主要タイトルを獲得、同時に最多本塁打・最多打点のタイトルも獲得し三冠王に輝きましたが、青木宣親選手もこれまでに3回の首位打者を記録しています!

また、セリーグ首位打者の回数は、歴代4位の記録です!
まさに天才プレーヤーと言われる所以(ゆえん)の1つですね!

その記録については以下の通りです。

✓ 2005年 打率.344
✓ 2007年 打率.346
✓ 2010年 打率.358

 

WBC日本代表に3回選出されている!

 

実は青木宣親選手、これまでにWBC日本代表選手に3回選出されています。
その中でも2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラッシック(WBC)では、全試合に出場。
37打数12安打・打率.324・7打点を記録し、このとき「WBCベストナイン」に選出されています。

またこの活躍が評価され、宮崎県知事の東国原英夫から宮崎県民栄誉賞を授与しています。

これもまさに天才プレーヤーと言われる所以(ゆえん)です。

✓ 2006年 第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)
✓ 2009年 第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)
✓ 2009年 第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)

まとめ

 

✓ 青木宣親選手は野手として活躍していますが、実は学生時代ピッチャーで活躍していた
✓ 青木宣親選手は、2003年ドラフト4巡目でヤクルトスワローズに指名されている
✓ 青木宣親選手は2011年11月、ポスティングシステムによりMLBへの挑戦していた
✓ 青木宣親選手セ・リーグ首位打者3回記録している(セリーグ首位打者の回数は、歴代4位の記録)
✓ 青木宣親選手、これまでにWBC日本代表選手に3回選出されている
2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラッシック(WBC)で

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