今や箱根駅伝の優勝常連校・青山学院大学。
青山学院と言えば、陸上部監督・原晋監督ですよね!
これまで箱根駅伝 総合優勝に6回導いた名監督で、テレビなどのメディアにも出演されています。
そんな青学の原晋監督についてのプロフィールや経歴をまとめてみました!
また、青山学院大学の監督はいつ就任されているか、就任後の青学陸上部の結果など調査いたしました。
最後までぜひご覧くださいね♪
【この記事でわかること】
✔ 青山学院大学 陸上部 原晋監督のプロフィール
✔ 青山学院大学 陸上部 原晋監督 これまでの経歴
✔ 原晋監督 青学・陸上部監督就任後のこれまでの成績
青山学院大学 陸上部 原晋監督のプロフィール
青学 原晋監督 プロフィール
■ 原 晋(はら すすむ)
■ 1967年(昭和42年)3月8日 生まれ(2022年現在・55歳)
■ 広島県三原市 出身
■ 身長 176cm
■ 体重 81kg
青山学院大学 陸上部 原晋監督 経歴
原晋監督 小学生の頃
瀬戸内の古い港町 広島県三原市で生まれ育った、原晋監督。
小学2年生のころ、漁港で遊んでいたときに不慮の事故で足複雑骨折をし、長期入院をしています。
このケガをきっかけにリハビリを兼ねジョギングをはじめ、幼馴染みの記憶では雨の日も休まず毎日走っていたそうです。
また、ソフトボールでは4番でピッチャー、相撲は主将と幼いころから運動神経は抜群だったようです。
原晋監督 中学生の頃
陸上を本格的に始めたのは中学生の頃。
同級生の勧めで陸上部に入部し、長距離を始めます。
中学1年生のとき、校内マラソン大会では1位、中学3年生のとき、県総体の1,500m競争で2位という成績をおさめています。
原晋監督 高校生のころ
中学を卒業した原晋監督は、広島県立世羅高等学校へ進学します。
2022年現在でも、陸上競技マガジンによる「過去の入賞を集計した得点ランキング」では全国トップクラスという、駅伝競走の強豪校です。
原晋監督は世羅高校でも陸上競技部に入部、高校3年生のときに主将として全国高等学校駅伝競走大会へ出場。総合2位の成績を収め、チームに貢献しています。
原晋監督 大学生のころ
世羅高校をを卒業した原監督は地元を離れ、当時、世羅高校のOBが中京大学の陸上部監督を務めていた愛知県名古屋市にある中京大学へ進学します。
大学1・2年生の頃はパチンコと飲み会に明け暮れていたとのことですが、大学3年生の時に日本インカレ5000メートルで3位という高成績を残しています。
原晋監督 中部電力 陸上競技部 時代
中京大学を卒業後、1989年(平成元年)に広島県広島市にある中国電力へ入社。
このとき社内の駅伝愛好者3名と原晋監督を含む新入社員4名により、中国電力のシンボルスポーツとして陸上競技部の創部に参加。
1993年には主将として、念願の全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)への初出場にも貢献しました。
その後 捻挫などの故障や、監督との軋轢、成績不振が続いたなどの理由で1995年(平成6年)27歳の時に現役を引退しました。
原晋監督 中国電力 営業社員時代
実業団を引退した原晋監督。
その後中国電力には残れたものの、本社には配属されず、山口県徳山市にある営業所へ配属されます。
しかしここで、蓄熱式空調システム「エコアイス」を社内一売上げ、その実績から新規事業の立ち上げを任されます。
「伝説の営業マン」と自称されるほど、立ち上げ当初5人だった部署が現在120人まで成長しているとか。
実業団引退して10年間、敏腕営業マンとして活躍されていましたが、2004年(平成16年)突如中国電力を退職しています。
原晋監督 青山学院大学・陸上競技部監督に就任
箱根駅伝の出走経験や出場校OBでもない、中京大学出身の原晋監督。
なぜ、青山学院大学 陸上競技部監督に就任することになったのでしょうか?
2004年(平成16年)原晋監督・36歳の時に母校・世羅高校の関係者から紹介オファーを受けての就任だったそうです。
陸上指導者経験のない原晋監督は、当初大学嘱託職員として任用期間3年契約。
「3年間で結果を出したら、3年後の身分保証をして欲しい。だが結果が出ない場合その必要もいらない」と退路を断つ旨を明言しながらの就任でした。
就任3年目の2006年(平成18年)の第82回箱根駅伝予選会での16位惨敗に大学幹部から「話が違う」と責められ、長距離部門も廃部寸前、監督もクビ寸前まで追い込まれたことも…。
就任5年目の2008年(平成20年)第84回箱根駅伝では学連選抜連合の監督としてチームを導き総合4位に。
2009年(平成21年)第85回箱根駅伝記念大会では、青山学院大学 陸上部を
箱根駅伝の出走経験や出場校OBでもない、中京大学出身の原晋監督。
なぜ、青山学院大学 陸上競技部監督に就任することになったのでしょうか?
原晋監督・36歳の時に母校・世羅高校の関係者から紹介オファーを受けての就任だったそうです。
陸上指導者経験のない原晋監督は、当初大学嘱託職員として任用期間3年契約。
「3年間で結果を出したら、3年後の身分保証をして欲しい。だが結果が出ない場合その必要もいらない」と退路を断つ旨を明言しながらの就任でした。
就任3年目の2006年(平成18年)の第82回箱根駅伝予選会での16位惨敗に大学幹部から「話が違う」と責められ、長距離部門も廃部寸前、監督もクビ寸前まで追い込まれたことも…。
就任5年目の2008年(平成20年)第84回箱根駅伝では学連選抜連合の監督としてチームを導き総合4位に。
また翌年 2009年(平成21年)第85回箱根駅伝記念大会では、青山学院大学 陸上部を33年ぶりに「箱根駅伝」出場に導いています。
その後もめきめきと結果を出し、2015~18年に箱根駅伝 総合優勝4連覇、2020年、2022年と続き、就任後6回もの総合優勝に導いています。
原晋監督就任後 青山学院大学 箱根駅伝結果は?
回 | 開催年 | 青山学院 結果 | 総合優勝校 |
---|---|---|---|
第80回 | 2004年 | 出場なし | 駒澤大学 |
第81回 | 2005年 | 出場なし | 駒澤大学 |
第82回 | 2006年 | 出場なし | 亜細亜大学 |
第83回 | 2007年 | 出場なし | 順天堂大学 |
第84回 | 2008年 | 出場なし | 駒澤大学 |
第85回 | 2009年 | 22位 | 東洋大学 |
第86回 | 2010年 | 8位 シード出場 | 東洋大学 |
第87回 | 2011年 | 9位 シード出場 | 早稲田大学 |
第88回 | 2012年 | 5位 シード出場 | 東洋大学 |
第89回 | 2013年 | 8位 シード出場 | 日本体育大学 |
第90回 | 2014年 | 5位 シード出場 | 東洋大学 |
第91回 | 2015年 | 総合優勝 シード出場 | 青山学院大学 |
第92回 | 2016年 | 総合優勝 シード出場 | 青山学院大学 |
第93回 | 2017年 | 総合優勝 シード出場 | 青山学院大学 |
第94回 | 2018年 | 総合優勝 シード出場 | 青山学院大学 |
第95回 | 2019年 | 2位 シード出場 | 東海大学 |
第96回 | 2020年 | 総合優勝 シード出場 | 青山学院大学 |
第97回 | 2021年 | 4位 シード出場 | 駒澤大学 |
第98回 | 2022年 | 総合優勝 シード出場 | 青山学院大学 |
まとめ
✔ 原監督は小学生の頃からスポーツ万能だった。
✔ 中学時代より同級生の勧めで陸上を初め、県総体の1,500m競争で2位という成績をおさめている
✔ 高校は陸上競技の強豪校・広島県立世羅高等学校へ進学、高校3年生のときに主将として全国高等学校駅伝競走大会へ出場し総合2位の成績を収めた
✔ 大学は愛知県名古屋市にある中京大学へ進学、大学3年生時、日本インカレ5000メートルで3位
✔ 大学卒業後、広島県広島市にある中国電力へ入社、実業団として全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)への初出場にも貢献している
✔ 1995年(平成6年)27歳の時に実業団を引退、中国電力の敏腕営業マンとしてトップセールスの実績を残し、2004年(平成16年)に中国電力を退職
✔ 2004年(平成16年)母校・世羅高校の関係者から紹介オファーを受け、青山学院大学 陸上競技部監督に就任、6回もの総合優勝に導き、青山学院大学 陸上競技部を駅伝の強豪校に押し上げ現在も活躍されている
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