森保一監督の若い頃・現役時代の気になる経歴とは?「ドーハの悲劇」について徹底調査!

森保一監督の若い頃・現役時代の気になる経歴とは?「ドーハの悲劇」について徹底調査!スポーツ

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2022 FIFAワールドカップ・カタール グループE第1節で、強豪ドイツに快勝したサッカー男子日本代表。
そんなチームを采配するのは森保一(もりやすはじめ)監督ですが、ドイツ戦での大胆な神采配が世界中で注目されています。
その森保一監督の”攻めの采配”の原点とは?

気になる森保監督の若い頃・現役時代はどうだったのか?
また気になるこれまでの経歴をまとめてみました!
森保一監督は、あの「ドーハの悲劇」と呼ばれているイラク戦にもスターティングメンバーとして出場していました!
「ドーハの悲劇」とはどんなできごとだったのか、詳しくまとめてみました。

ぜひ最後までご覧ください!!

【この記事でわかること】

✓ 森保一監督の出身校・プロフィール
✓ 森保一監督の現役時代
✓ 森保一監督が経験した「ドーハの悲劇」について詳細
✓ 1993年ワールドカップアメリカ大会 アジア予選 日本代表の成績や森保一監督の出場した試合

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森保一監督 出身校・プロフィール

森保 一(もりやす はじめ)

愛称  :ポイチ
生年月日:1968年 8月 23日 (2022年現在・54歳)
血液型 :A型
出身地 :静岡県掛川市で生まれ・長崎県長崎市育ち

現役時代のポジション:MF/DF

https://twitter.com/SportsHochi/status/1658823572754948097より引用
出身校所属チーム出場経歴
小学校時代
1974-80
唐津市立鏡山小学校
長崎市立深堀小学校
土井首SSS(土井首サッカースポーツ少年団)第4回全日本少年サッカー大会にGKとして出場
中学校時代
1981-83
長崎市立深堀中学校深堀中学校 サッカー部
1984-86長崎日本大学高等学校長崎日本大学高等学校 サッカー部

森保一監督のお父様が造船関係のお仕事をされていたため、名古屋、横須賀、佐賀県唐津市と転居し、長崎市に定住されます。
本格的にサッカーを始めたのは、小学校5年生の時。
小学校6年生から「土井首SSS(土井首サッカースポーツ少年団)」に入団されています。

長崎のサッカー強豪校・「長崎県立国見高等学校」へ進学を希望していましたが、お父様に反対され、長崎日本大学高等学校へ進学されています。
また高校時代 国体の選抜に選ばれるものの、「長崎県立国見高等学校」が全盛期だったため、インターハイや選手権などの全国大会には出場する機会はなかったようです。

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森保一監督 現役時代(所属チーム・日本代表)

所属年現役時代の所属チーム
1987-1992マツダ(現・サンフレッチェ広島)
1987-1989マツダSC東洋
1992-1997サンフレッチェ広島
1998京都パープルサンガ (loan)
1998-2001サンフレッチェ広島
2002-2003ベガルタ仙台
2004年1月現役引退
招集年出場大会
1992-1996日本代表1993年・W杯アメリカ大会アジア予選

森保一監督は現役時代、守備的なミッドフィルダーとして、J1のサンフレッチェ広島などでプレーしていました。

1992年 オフトが日本代表監督に就任したとき、日本代表に初招集されます。
1993年 W杯アメリカ大会アジア予選に出場し、あと一歩のところで初出場を逃した、いわゆる「ドーハの悲劇」を経験しています。

現役時代後半は、ケガのため満足な出場は叶わず、2003年所属していた「ベガルタ仙台」がJ2降格。
森保一さんも戦力外通告受けて、2004年1月に正式に現役引退を表明しています。

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森保一監督が経験した「ドーハの悲劇」とは

1993年・W杯アメリカ大会アジア予選に森保一監督が日本代表として出場した際、「ドーハの悲劇」と呼ばれる状況が起きた瞬間の画像です。
選手たちがピッチにふさぎ込み、呆然と立ちすくす姿が映し出されています。
「ドーハの悲劇」とは、一体どんな出来事だったのでしょうか?

アメリカワールドカップアジア地区最終予選 第4戦終了時点で日本は勝ち点・勝率においてグループ1位となり、初のワールドカップ本戦出場に王手をかけており、ほぼ確定かと思われていました。
1993年10月28日、イラク戦において、試合終了間際までイラクに2-1でリードしていましたが、ロスタイムに同点ゴールを入れられ失点。

悲劇はそれだけならず、引き分けでありながら勝点が同じ韓国に得失点差で敗れて「グループ3位」となり、日本代表は予選敗退。

あと一歩のところでワールドカップ初出場を逃し、夢がはかなく散ってしまいました。
またこのとき「カタール ドーハ」で試合が行われたことから、「ドーハの悲劇」と呼ばれるようになりました。

森保一監督は、現役時代この苦く悔しい経験をされ、現在の采配に生きているのかもしれませんね。

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森保一監督 W杯アメリカ大会アジア予選 日本代表で4試合出場していた!

 

1993年 ワールドカップアメリカ大会 アジア予選で森保一監督は、5試合中4試合スターティングメンバー入りしていました。
あの「ドーハの悲劇」と呼ばれている試合 1993年10月28日のイラク戦でもスターティングメンバーより出場しています。

【1994年 ワールドカップアメリカ大会 アジア予選】

開催日対戦結果/開催地スターティングメンバー
1993年
10月15日
日本 vs サウジアラビア
△0-0
カタール・ドーハ
松永成立・堀池巧・柱谷哲二・井原正巳・三浦泰年・森保一
福田正博・ラモス瑠偉・吉田光範・高木琢也・三浦知良
1993年
10月18日
日本 vs イラン
1-2
カタール・ドーハ
松永成立・堀池巧・柱谷哲二・井原正巳・三浦泰年・森保一
福田正博・ラモス瑠偉・吉田光範・高木琢也・三浦知良
1993年
10月21日
日本 vs 北朝鮮
3-0
カタール・ドーハ
松永成立・堀池巧・柱谷哲二・井原正巳・勝矢寿延・森保一
長谷川健太・ラモス瑠偉・吉田光範・中山雅史・三浦知良
1993年
10月25日
日本 vs 韓国
1-0
カタール・ドーハ
松永成立・堀池巧・柱谷哲二・井原正巳・勝矢寿延・ラモス瑠偉・
北澤豪・吉田光範・長谷川健太・中山雅史・三浦知良
1993年
10月28日
日本 vs イラク
2-2
カタール・ドーハ
予選敗退決定
松永成立・堀池巧・柱谷哲二・井原正巳・三浦泰年・森保一
ラモス瑠偉・吉田光範・長谷川健太・中山雅史・三浦知良

まとめ

✓ 森保一監督は、小学5年生のときサッカーを本格的に始めている

✓ 強豪校・国見高等学校へ進学を希望していたが、父親から反対され「長崎日本大学高等学校」へ進学している

✓ 森保一監督は、1987年にプロ入り。「サンフレッチェ広島」で活躍していた

✓ 森保一監督は、1994年ワールドカップアメリカ大会 アジア予選では5試合中4試合スターティングメンバー入りしている。10月28日のあの「ドーハの悲劇」と呼ばれているイラク戦にも森保一監督は出場していた

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