栗山英樹現役時代の経歴は?引退理由とは?プロフィールや現役時代の経歴などまとめ!

侍ジャパン大谷翔平と栗山監督スポーツ
中日スポーツより

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2023ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で世界一へ導いた、日本代表の監督を努める栗山英樹監督。

侍ジャパンは前回と前々回と惜しくも優勝を逃しており、再び優勝を手に入れたい侍ジャパン。
そこで栗山英樹監督の選手の起用法や采配について注目を集めています。

北海道日本ハムファイターズでも大谷翔平選手の二刀流の起用や球団新記録の15連勝など様々な名采配し、北海道日本ハムファイターズを10年ぶりに日本一に導いています。

その栗山英樹さんのプロフィールや現役時代の経歴、現役引退理由について調査・まとめてみました。

ぜひ最後までご覧ください!!

 

【この記事でわかること】

✓ 栗山英樹さんのプロフィール
✓ 栗山英樹さん現役時代の経歴
✓ 栗山英樹さん引退後の活動
✓ 栗山英樹さんの監督歴
✓ 栗山英樹さん現役引退の理由

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栗山英樹さんプロフィール・経歴

栗山英樹さんのプロフィール・現役時代・監督時代の経歴、引退後の活動についておさらいします。

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栗山英樹さんプロフィール

栗山 英樹(くりやま ひでき)

  • 1961年4月26日 生まれ
  • 東京都小平市 出身
  • 身長 176 cm
  • 血液型 A型
  • 投球・打席 右投両打
  • ポジション 外野手
  • 選手歴 創価高等学校、東京学芸大学、ヤクルトスワローズ (1984 – 1990)
  • 監督歴  北海道日本ハムファイターズ(2012–2021)
    侍ジャパン監督(2021–)
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栗山英樹さん現役時代経歴は?

  • 1984年 ヤクルトスワローズへ入団
  • 2年目の6月から右翼手としてレギュラーに定着、打率.301
  • 3年目には初の開幕一軍を果たす
  • 4年目の6月から1番右翼手 打率.331
  • 5年目にはゴールデングラブ賞を獲得
  • 1990年 右肘のケガやメニエール病を理由に、29歳で現役引退
  • 現役時代の通算成績は実働7年で、494試合、打率.279、7本塁打、23盗塁

 

栗山英樹さんはプロチームに入団テストを受け、1984年にヤクルトスワローズに入団しました。
1年目に守備要員として遊撃手で1軍デビュー。

2年目の6月から右翼手としてレギュラーに定着し規定打席未満ながら打率.301を記録。

3年目には初の開幕一軍を果たし、レギュラーの座を獲得しました。
その後、怪我に悩まされましたが、翌年の4年目の6月から1番右翼手として、レギュラーに定着し、打率.331を記録をしました。

翌年の5年目にはゴールデングラブ賞を獲得するほど、守備範囲の広さを評価されましたが、1990年に右肘のケガやメニエール病を理由に、29歳の若さで現役を引退しています。

29歳で引退され、その後どのような活動をされていたのでしょうか?
下記でご紹介します!

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栗山英樹さん引退後の活動は?

  • 野球解説者やスポーツキャスターとしてテレビ朝日、TBSテレビ、TBSラジオに出演
  • スポーツニッポンの専属野球評論家やプロ野球コメンテーター
  • 母校・東京学芸大学の講師や、白鵬大学助教授、准教授、教授も歴任
  • 北海道の栗山町から観光大使を依頼「栗の樹ファーム」という野球場と練習場を作った
  • 少年野球教室や大会を開くなど栗山町の観光大使として地域に貢献

栗山英樹さんの引退後は野球解説者やスポーツキャスターとしてテレビ朝日、TBSテレビ、TBSラジオに出演していました。
スポーツニッポンの専属野球評論家やプロ野球コメンテーターを務めるなど幅広く活動。

また母校の東京学芸大学の講師や、白鵬大学助教授、准教授、教授も歴任していました。

北海道の栗山町から観光大使を依頼され、「栗の樹ファーム」という野球場と練習場をつくり、少年野球教室や大会を開くなど栗山町の観光大使として地域にも貢献。

その後、2011年に北海道日本ハムファイターズの監督に就任し、10年間監督を務めました。

そして3月に行われる2023ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表の監督を努めます。

栗山英樹さん監督歴は?

  • 2012~2021年 北海道日本ハムファイターズの監督就任
  • 2021~2023年 WBC日本代表「侍ジャパン」監督就任

2012年に北海道日本ハムファイターズの監督に就任し、新人監督として17人目のリーグ優勝を果たしました。
日本シリーズでは読売ジャイアンツと対戦し、2勝4敗で敗れ、惜しくも日本一達成とはなりませんでした。

2013年に大谷翔平選手をドラフト1位で獲得し、翌年2014年から3年連続でクライマックスシリーズに進出。

2016年には4年ぶりのリーグ優勝を果たし、クライマックスシリーズのファイナルステージでソフトバンクに4勝2敗で降し、4年ぶりに日本シリーズへの出場権を獲得しました。
日本シリーズでは広島東洋カープと対戦し、4勝2敗で降し、自身初の日本一を獲得しています。
球団としては10年ぶりの日本一でした。

翌年の2017年は日本ハムファイターズが本拠地を北海道に移転してから通算1000勝を達成。

2018年はクライマックスシリーズに出場するも、2019年から3年連続でBクラスで終わってしまいます。

そして2021年に北海道日本ハムファイターズの監督を退任しました。

栗山英樹さんは北海道日本ハムファイターズの監督を10年間努め、日本一を1回、リーグ優勝を2回、クライマックスシリーズ5回出場を果たしています。

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栗山英樹さん現役引退理由は?

 

  • メニエール病

栗山英樹さんは選手時代から平衡感覚が狂う三半規管の難病であるメニエール病に苦しんでいました。1985年の現役2年目から苦しむようになり、突然目まいや立ちくらみを覚えるようになりました。

しかし、当時栗山英樹さんは1、2軍のボーダーラインにいたこともあり、首脳陣には隠して試合に出続けていました。

そして1986年のオフには治療に専念するために長期入院を余儀なくされました。

その後もメニエール病の症状が再発することもあり、怪我もあり、1990年の29歳で現役を引退しました。

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まとめ

 

✓ 栗山英樹さんは右肘のケガやメニエール病を理由に、29歳の若さで現役を引退

✓ 北海道日本ハムファイターズの監督時代の功績があり、3月に行われる2023ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表の監督を努める

✓ 北海道の栗山町から観光大使を依頼され、「栗の樹ファーム」という野球場と練習場をつくり、少年野球教室をするなど、地域貢献などもやっています。

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